FNS歌謡祭に出演の華原朋美がAAAの西島隆弘と「I’m proud」を熱唱

 「急性ストレス反応」で11月5日から芸能活動を休止していた歌手の華原朋美(42)が7日、フジテレビ「2016FNS歌謡祭」に生出演し、復帰後初めて歌唱した。華原は5日に月曜レギュラーを務める日本テレビ「PON!」に生出演し、1カ月ぶりの仕事復帰を果たしている。

 白い半袖ワンピース姿の華原は、代表曲「I’m proud」をAAAの西島隆弘とコラボ唱。肌つやもよく、キュートな朋ちゃんスマイルと、歌声は健在だった。歌い終えると西島に向かい、「ありがとうございます!」とペコリと頭を下げていた。

 歌唱後の午後9時半ごろにはツイッターを更新。西島とのツーショット写真をアップし、「FNS歌謡祭でAAAの西島さんと歌った I’m proud最高に楽しかったです!」とツイートした。

 華原は10月21日、自身のツイッターで家族間のトラブルをにおわせ(※削除済み)、その頃から発熱など体調不良を訴えるようになり、10月31日には「PON!」出演をキャンセル。予定していたイベント出演も相次いで取りやめ、11月5日に急性ストレス反応と診断され、入院。11月30日に退院し、翌12月1日からボイストレーニングを開始していた。

 復帰となった5日の「PON!」では、「人生いろんなことがありますけれども、今日から再復帰で、一生懸命頑張っていきます。みなさん、見捨てないでください。よろしくお願いします」と呼びかけていた。

出典: デイリースポーツ

華原朋美のプロフィール

出身地千葉県浦安市
生年月日現在42歳
身長156cm
体重52kg
スリーサイズ B86-W58-H84
関連サイト→ 公式サイト
ブログ→ ブログへ
Twitter→ Twitterアカウント
Instagram→ インスタグラム アカウント

 華原朋美(かはら ともみ)は、日本の歌手、タレント、ミュージカル女優。本名、下河原 朋美(しもがわら ともみ)。愛称は「朋ちゃん」。

 代表曲はミリオンセラーを記録した「I’m proud」「I BELIEVE」「Hate tell a lie」など多数。当初のプロデューサー・小室哲哉に申し子として「彼女の声は涙腺を刺激します。天性の声質を持っているアーティストと言っていい。」「愛を歌うことが出来る人」と称された。また、女優・深田恭子、歌手・浜崎あゆみなど後のアーティストにも影響を与えた。

 2007年6月以降、芸能活動を長期休業していたが、2012年11月23日、同年12月1日付での旧所属事務所への復帰および、年末の12月5日に『FNS歌謡祭』で5年半ぶりに芸能活動を再開することが、プロダクション尾木から正式発表され、復帰を果たした。

人物

 4人きょうだい(兄2人、弟)の一人娘として生まれる。千葉県の昭和学院小学校卒業後、私立松蔭中学校・高等学校を卒業する。
 3歳頃、「あれに乗りたい!」の一言で始めた趣味の乗馬は、高校3年生の時に出場した1992年山形べにばな国体で4位入賞という好成績を修めている。
 実家は千葉県内で鉄鋼関連会社や老人福祉施設などを経営している。母親や兄弟も全員経営者という裕福な家庭に生まれ育つ。将棋の級(日本将棋連盟ジュニアクラス1級・一般クラス3級)も持っており、NHK衛星第2テレビの大逆転将棋で司会も務めた。


 2012年5月、普通自動車免許を取得する。デビューしてから公表してきた血液型A型が実はO型であったことを2014年6月に明らかにした。



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 中山美穂や工藤静香に憧れ、高校1年(1990年)の時に全日本国民的美少女コンテストに応募。本戦の事前親子面接にて母親が「娘の芸能界入りには反対」と発言したために、本戦には出場できなかった。それから自宅に他の事務所からのスカウトの電話が入ってくるようになり、芸能界入りを強く意識するようになる。

 高校3年の時、渋谷の吉野家で当時の事務所アバンギャルドにスカウトされ芸能界入り。高校卒業後は、美容師を目指し山野美容専門学校に入るも、芸能界入りを決意し退学した。 kahara2

 1993年から『さんまのナンでもダービー』(テレビ朝日系)でレギュラーアシスタントを務め、テレビ初出演を果たす。雑誌『CanCam』、『ViVi』等でモデルを務める。
 1993年秋にはMBSラジオ『茶屋町学園』のオーディションを受けるが落選。
 しかし、このオーディションがきっかけで雑誌「MABU」の巻頭グラビアを飾る。当時の芸名は同事務所の三浦早苗に因んで付けられた三浦 彩香(みうら あやか)を主としていた。

 1994年4月、遠峯 ありさ(とおみね ありさ)の芸名を使用開始し、持田かおり(現:持田香織)らが在籍していた黒BUTAオールスターズの第4期生に選抜されるも、すぐに脱退。深夜番組等でアイドルとして活動。当時は毎日のようにオーディションを受けていたという。また、カラオケ映像にも出演していた。

 バラエティ『とんねるずのみなさんのおかげです』のコント「近未来警察072」の女性隊員役のオーディションでは、松嶋菜々子とともに最終選考の2名まで残ったが、身長の低さが原因で落選した。 kahara3 kahara4

 その後、アイドルとしてバラエティ番組『天使のU・B・U・G』(1994年10月〜1995年3月)にレギュラー出演していた際、視聴していた小室哲哉に見初められ、番組プロデューサを介して小室が当時青山で経営していた店「TJM」に呼ばれたことがきっかけでほどなく小室との交際が始まる。

 華原は女優志望だったが、出会って間もない頃にカラオケでtrfを歌い、その歌声を聴いた小室は涙を流して感動し「涙腺を刺激する歌声」と称し、歌手デビューが決定(華原が初めて買ったレコードが中山美穂の「50/50」で、奇遇にも小室作曲の作品であった)。

 また、デビュー直前に2人の関係をすっぱ抜いた週刊誌の記者に対し、小室は「アーティストに手をつけたのではない。恋人に曲を書いてデビューさせただけだ。」と語っている。

 1995年4月には、小室が手掛けるTV番組『TK MUSIC CLAMP』のエンディングでTM NETWORKの「Get Wild」を歌っている。また、4月から始まったばかりのバラエティ番組『今田耕司のシブヤ系うらりんご』をすぐに降板し、事務所を移籍した。

 1995年6月、事務所を移籍し、小室のイニシャルと同じT. Kで、なおかつ本名に近い華原朋美に改名。
 8月には小室が音楽を担当したイメージビデオ『PARADOX』を発売し、フジテレビビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー’95に選出。
そして9月、パイオニアLDC内の小室が立ち上げた新レーベル・ORUMOK RECORDSの第一弾アーティストとして、シングル「keep yourself alive」で歌手デビュー。
オリコン・シングルチャート最高8位を記録した。翌10月には、2枚目のシングル「I BELIEVE」を発売し、オリコン最高4位を記録。同曲で年末の新人賞を総なめにした。 kahara5

 1996年、3月に3枚目のシングル「I’m proud」を発売。同3月25日付で「I BELIEVE」がミリオンセラーを達成、新人としては異例の快挙となった。「I’m proud」も続いてミリオンセラーを記録、同曲で年間シングルチャート女性ソロアーティスト最高位の8位、年間カラオケリクエスト首位を獲得するなど、一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。

 6月にはファーストアルバム『LOVE BRACE』を発売し、初のオリコン首位を獲得とともに、ファーストアルバムの歴代最高初動売上を記録した(後に宇多田ヒカル、倉木麻衣が更新)。同作は最終的に出荷ベース300万枚を突破するダブルミリオンを記録した。同月、新高輪プリンスホテルで“華原朋美ヒット記念パーティー”を開催。小室やdosらがお祝いに駆けつけ、業界・報道関係者1,000人が出席した。10月には5枚目のシングル「save your dream」を発売し、シングルでも初の首位を獲得。大晦日には『第47回NHK紅白歌合戦』に初出場し、小室のピアノ演奏で「I’m proud」を歌唱した。 kahara6

 1999年1月30日、自宅で料理中にガス中毒で倒れ緊急入院。この時、初めて年明けから休養していたことと小室との破局が報じられ、翌1月31日には退院するも、一時は意識不明の重体であったことなどからテレビや週刊誌等で連日報道されるようになる。

 翌2月、休養中に初のベストアルバム『kahala compilation』を発売し、首位を獲得。5月、芸能事務所をプロダクション尾木に移籍し、新聞社向け限定の復帰会見を行うが、わずか一週間後に自宅マンションのロビーで貧血で倒れ再入院。翌6月17日、静岡県御殿場市の乗馬クラブ「アルカディア」で不完全なまま2度目の復帰会見を行った。 kahara7

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